今日もどこかの小区で@上海

上海での日常を綴っています。日本での日常生活とは少し違った、でも実はあまり変わらない人間味溢れる上海生活をご紹介します

301号室のアイ

今日も一日が、ほぼ仕事漬けで終わろうとしている。


世間一般的に珍しい設定かもしれないが、うちは私が一家の大黒柱で夫が専業主夫である。
独身の頃は、こんな未来になろうとは思ってもみなかったが宿命とはこういうことなのだろう。
子供ができると自然に「役割」というものが決まってしまい、またこの「役割」で動くと生活がスムーズに進むのであった。


夫は起床して、朝の身支度を整えた後は、ほぼ台所に立っている。
日本みたいに野菜が綺麗な状態で売っているわけではないので、シンクに水を溜めて1時間ほど野菜を漬けておくことが必要らしい。
葉っぱも1枚1枚きちんと裂いてからの作業なので、毎度の食事の下ごしらえに時間がかかるようだ。
個人的にはシンクを野菜を水に漬けるボール代わりに使うのは衛生的にどうかと思うのだが、夫曰くボールを置く場所もないし不便だというので、最近は諦めている。


そんな丁寧に下ごしらえをした食事だが、私は激務に追われていて、毎回対して味わいもせず10分ほどでたいらげてすぐに仕事に戻ってしまう。
毎回夫に「美味しいかい?」と聞かれても、「まあまあ、美味しいよ」と何とも素っ気ない答えをする。
それほど感動した味でない時でも、毎回「美味しいよ」と頑張って答えることが、私なりの優しさだと思うのだが、夫はそんなことにまったく気づいていないらしく、
「じゃあ、良かった!」といつも嬉しそうだ。
そして毎回自分でも、「うん!すごく美味しい!」と自画自賛をしている。


ある時夫が、子供に構いもせず必死にスマホを真剣に見ていたときに、流石に私もカッとなり「何ずっとスマホみてるの?!」と画面を覗き込んでみたら、料理レシピの紹介の動画だった。
これがプロの主婦(主夫)か・・・と思った。



今日もまた、PCR検査が実施された。いつも夫と娘は先に広場に出て、小区の人達と立ち話をしているのだが、私は仕事が忙しくて平日はそれどころではない。
自分達の棟の順番が廻ってきたときにだけ、さっさと下まで降りて、広場での検査を受ける。
ロックダウン当初は、近所の人々と広場付近でおしゃべりをしようものならば、監視員の目が厳しくてすぐに注意されていたが、もうすぐ3週間が経とうとする今では、
誰も注意をしなくなった。


小区の花壇には金属製の物干し竿があるのだが、隣の棟の老人男性らがその棒につかまって、懸垂に挑戦していた。
周りではそれを見学してちょっかいを出す住民もいたりして、とても和やかな雰囲気の昼下がりだった。


PCR検査後、すぐに、小区の人たちと交流をしている娘と夫を置いて、一足先に家に戻った。


しばらくして帰ってきた娘がニコニコして、袋に入ったM&Mのチョコレートを見せてくれた。
「アイがくれた」
また、301号室のアイが、娘にチョコレートをくれたようだった


2週間ほど前、同じ小区の娘とほぼ年が同じ、「ヨーヨー」という親友と、PCR検査の時にばったり出会い、嬉しくて娘が大声で「ヨーヨー!!」と叫んでいた。
でも、棟が違うのですぐに引き離されてしまい、娘もヨーヨーも大声で泣き出してしまった。
いつまでたっても娘が泣き止まず、大変な事態になったのだが、その時に助けてくれたのが301号室のアイだった。
家からM&Mのチョコレートを持ってきて、娘に渡してくれた。
食いしん坊の娘はすぐに泣き止んでくれ、夫も私も、ものすごくホッとしたのを覚えている。


「アイにちゃんとシェイシェイと言った?」
娘に聞いた。
「アイ、シェイシェイ!」
と、娘が私に言った。

お隣のシュアイグ

また月曜が始まった


仕事が忙しくて、曜日感覚がなくなっている上にロックダウンにより在宅勤務となると
曜日感覚が余計におかしくなってきた
ロックダウン中の朝のルーティーンは、チビチビ大切に使っているバターを溶かし、砂糖、卵、薄力粉を混ぜ合わせて作るクッキーとパウンドケーキの中間のような朝食作りだ。


もう何か月も前のことだが、「薄力粉を買ってきて」、と夫に頼んだら、なぜか5KGもの重さの薄力粉を買ってきて、なんでこんな重いサイズを買ってきた、普通は1kgぐらいだろうと思いながら、いつ使いきれるのかと悩みながら消費していった粉だけど、ロックダウンでパンやケーキが入手できなくなった今となっては、貴重な存在となっていた。
しかし、もうその薄力粉も底をついてきてしまっている


在宅勤務が何日も続いている今、自宅にWIFIを引いていなかったため、携帯のデータ容量が足りなくなる問題が出てきてしまった。
しかも携帯のテザリングでのデータ読み込みは非常に時間がかかるため、仕事に支障をきたす。
今からWIFIを引くにも作業員が小区に来れないし、うちもいつ引っ越しをするか分からないので1年契約のWIFIを引きたくないのだった。


「やっぱりうちもWIFIを引かないと不便だよ」と夫に相談した
「いつ引っ越すかもわからないのにWIFIは要らないよ。在宅勤務ももうすぐ終わるだろうから、また必要なくなるじゃないか」
そういわれたが、やはり不便な生活がとてもいやだと不満をこぼした。


すると夫が、「じゃあ、お隣さんに貸してもらおう」


「は?」と意味が分からなくなった
「お隣のWIFIを1か月間借りればいいんだよ。お隣には1か月分のWIFI代を渡すから」
そんな手を思いつくとは、カルチャーショックとはこういうことのようだ。


早速夫はお隣の604号室のお兄ちゃん(多分30歳前後の好青年)のドアをノックし、「シュアイグ、シュアイグ」と大声で叫び始めた
*シュアイグ=青年男性への呼び方。日本語だと、「お兄さん」だろうか。


シュアイグへWIFIの1か月のシェアをお願いすると、あっさり承諾してもらえた様だった。しかも1か月間のWIFI代も要らないとのこと。
ちなみに私はこういうお願い事はちょっと恥ずかしくて、家の中で聞き耳を立てることしか出来なかった。


実はこちらのシュアイグには、以前実家から送られてきたというサクランボをいただいたことがある。
夫がよくシュアイグの宅配便を、ちょうどお隣さんで別に大した労力も要らないので、彼のドアの前まで置いてあげたりしているので、そのお礼だと言うことだった



「シェイシェイ!」と大声で言いながら、夫が帰ってきた。
早速WIFIのパスワードをパソコンに打ち込むと、以前より格段の速さでデータが読み込まれていく。
1円もお金をかけずに難問を解決してしまう夫、というか中国人には、なんてサバイバル能力が高いんだと感心することがたまにある。


午後、またPCR検査のために、小区の広場まで歩いて行った。


301号室の女性(アイと呼んでいる)に会い、娘に「サンサン、何私のこと見てるの?」とまたハキハキと話しかけてくれた。
*アイは日本語ではおばさん


娘はやはり恥ずかしいのか何も言わずにうつむいたまま立ち去った。
104号室のナイナイにも話しかけられ、小さい声で「ナイナイハオ!」とあいさつをして、部屋に戻った。


「シュアイグに何時に起きて何時に寝るか聞いたら、朝6時に起きて夜11時に寝るらしいよ」と夫が言った。
何でそんなことをお隣さんに聞くんだろうと思っていると、


「ちょうどいい。夜11時過ぎたら映画をダウンロードしよう」


一応、お隣さんに回線が遅くなることの迷惑を掛けないように、との配慮なんだろうが、起床と就寝時間をいきなり聞かれたシュアイグもびっくりだろうよ・・・



ロックダウンが終わって通勤生活が始まったら、シュアイグには何かお礼をしなきゃな。
でも、30歳前後の青年にはどんなお礼をすれば良いのか、まったく見当が付かないでいる

ロックダウン中の日曜日

「牛乳配ってくる」
日差しの気持ちいい午後3時、夫が急にこう言って外に出る準備を始めた
なんだかちょっと張り切っている様だ

「子供も連れて行ったら?」と言ったが「でも子供を連れてくるなといわれるかもしれないよ」と言われる

「じゃあ先に行ってて。後でサンサンと下に行くから」

上海は今ロックダウン中だ。かれこれもう3週間近くになる。本当は家のドアから一歩も出てはいけないのだが、まだ幼い娘が外に出たがるため時々団地の棟の下の通路で散歩をする
でももう最近は、娘も諦めたのか慣れたのか、外に出たいとは言わなくなった

下の通路に行くと、202号室の子犬ピピちゃんの飼い主である初老のご婦人が後ろ向きに歩いて散歩をしていた。(中国では恒例のザ後ろ歩き)
「サンサン、ババ牛乳配布に行ったのね。ババ、みんなを助けてくれて偉いわねぇ」
*北京語ではパパ=ババ
 
中国では小さい子がいると、相変わらずいろんな人に話しかけられる。

「あなた、日本語が話せるみたいね?」ご婦人が急に私に話しかけた。
え?いやいや、そりゃあね・・・と思いながら
「私は日本人です」と答えた。
「え???!!」とものすごく驚かれた様子。
「私は外国人なんですよ」

「にほんじんですか!!」と急にご婦人が日本語で話し始めた。今度はこっちがビックリだ。
「わたしはにほんに5ねんかんすんだことがあります。95年ににほんへいきました。でもにほんごもうほとんどわすれました」
正直、「ほとんど忘れました。」 と言えるなら、まだまだ上手なほうですよ、と思いながら、「そうなんですね!」とご婦人と少し日本語で会話をした。
 
それからご婦人が娘と日本語で会話をしてくれたが、娘は日本語はまだまだ分からないらしく、返答に困っていた。
娘に日本語で会話してくれる人が現れて、娘の日本語の練習にもなるのでちょっとラッキーだと思った。


しばらくベンチに座っていると、301号室の30代半ばくらいの女性がエプロン姿で下りてきて、サンサンに話しかけた
「ババを待ってるの?牛乳買ったの?」
娘は恥ずかしがり屋からか、小さい声でなにか言っている。
「もっと大きい声で言ってごらん!」
さすが上海の女性、ハキハキ元気さを子供のころから求められるようだ
娘も頑張って少し大きい声を張り上げて「ババ、牛乳とりにいった」と答えた
「何本買ったの?」
「3本」と答えながら、手は4本と表している
「それは何本?」「サンサンは何歳?」また上海女性から大声で指導されている
あまりはっきりと娘に指導できない私にとっては、このような女性は心強い存在だ。

娘には将来自分で住みたい場所や、やりたいことは出来るだけ自分で選択させたいが、
中国をはじめ、日本以外の国で暮らすには、それなりに自己主張を出来るようにならなければ簡単なことではない、ということは自分が経験をして実感している。
娘は中国生まれ中国育ちなので、この点は心配がないかと思うが、母親が日本人だと
やはり話し方が中国人よりはやわらかめになってしまう。

少しして、ミネラルウォーターが自分の棟の入り口に届いた。
105号室の韓国人夫婦(カップルかも)の分だった。
夫婦は2箱のミネラルウォーターの段ボール箱を、よいしょと担いで部屋へ戻っていった。
同じ棟の104号室のナイナイとこの韓国人夫婦の話をしていたところに、ゴミ捨て場の清掃担当のイエイエがやってきた。
*北京語でナイナイはおばあさん、イエイエはおじいさん


するとそのイエイエが、「あの夫婦は韓国人じゃないよ」と言い出した。
「韓国人はあんなミニスカートを履かないよ。半袖のシャツも着ないし」
「いやいや、現代の韓国人はふつうの洋服を着るんですよ」と教えてあげたら、ちょっとビックリしていた
側にいた別のイエイエが「現代は、みんな同じような洋服を着るんだよ」とそのゴミ捨て場担当のイエイエを諭していた。


また、夫が何やら外出してた様だ。
戻ってくると、小区の人と、紅茶の茶葉50gに対して、リンゴ2個、オレンジ1個、ドライレーズン1袋、明治チョコレート5粒を交換して来た。
命に係わる物資(米・油・ちり紙など)は国から配給があるが、嗜好品は手に入りにくいし、今購入すると通常の2倍は掛かってしまうので、小区内で物々交換へ至ったようだ。


早速、娘がリンゴ1個とオレンジ1個を平らげていた。