今日は、もう午後5時を回ったというのに、一歩も外に出ていない。
自宅の棟から出て、小区内なら自由に移動しても良いという通達が出てから、今日は2日目だ。
朝10時過ぎに、娘と夫は小区の友達と遊ぶために外へ出て行った。
出社することができないと、資料などの確認がしづらく、業務が効率的に出来ないという支障がある半面、こんな天気の良い日に窓を全開に開けて、心地よい日差しを浴びながら仕事に打ち込めるのも最高なことなのだと実感した。
「シュアイグ!シュアイグ!」
夫がお隣のシュアイグのドアをドンドン叩く。
*シュアイグは日本語でお兄さん
「肉が到着したよ!」夫はシュアイグに肉の塊を手渡した。
ロックダウン中の今、政府からの野菜などの配給品が週に1度ほどあるだけでなく、小区内で肉・野菜・牛乳などのまとめ買いが可能となっている。
「ウーファーロウが買えたよ~♪もうこれがあれば当分安心だ!」
*ウーファーロウ(五花肉)は日本語で豚バラ肉
ウーファーロウでよく角煮を作るのが好きな夫が、ウキウキ気分で独り言を言っている。
「それは良かったね」私は心の中で呟いた。
午後になると、同僚との会議が始まった。
会議が始まると同時に、娘がなぜかおもちゃの電子ピアノを持ち出して、大音量で音楽を流し始める。
何でこのタイミングで・・・と思ったが、気にせずに会議を続けた。
その内に、その電子ピアノにセットで付いているマイクに向かって大声で歌い始めて、流石にこちらも吹き出しそうになったが、
それほどまだ親しくない同僚に気づかれまいと必死で堪えた。
仕事がひと段落した夕方6時に、娘たちがいるだろう広場へ向かった。
案の定、ヨーヨージエジエとシャオディーディー達と遊んでいた。
*ジエジエ=お姉ちゃん *シャオディーディー=かわいい弟
そこへふと、ゴルフバッグを担いだ男性がやって来た。シャオディーディーは、物珍しそうにゴルフバッグのパターを1本取り出した。
「こらっ!ババのじゃないから取っちゃダメだよ!」
*ババ=パパ
シャオディーディーのナイナイが言った。
*ナイナイ=おばあちゃん
どうやらシャオディーディーのババもゴルフをするらしい。
それでも構わずシャオディーディーはパターを振り回し、花壇の方へ行ってしまった。
こういう場合、日本だと、大人がすぐにパターを子供から奪い返し、持ち主に返しただろう。
でもここは中国。大人達は笑いながら、「気を付けて!」と言うだけで、子供の好き勝手にさせている。
当の持ち主もスィングの練習を始めていて、一向に気にしている素振りがない。
その内、ヨーヨージエジエのババがバスケットボールを取り出し、遊び始めた。
するとそのゴルフバッグの持ち主が、「ちょっと貸して!」と言い出し、ヨーヨージエジエのババのバスケットボールで華麗なドリブルを披露し始めた。
顔見知りだったのかどうかは知らないが、自由に他人の持ち物で遊び始める小区の人たち。
また1つ、カルチャーショックの体験をした。
心地よい風が吹いていたので、娘と夫が自宅へ戻った後、一人ベンチで腰かけて暫くぼーっとしていた。
どこからか、バイオリンの練習している音が聞こえる。
ベンチの前の棟からは、夕飯の支度をしているのか、食器同士のガチャガチャした音も聞こえてきた。
後ろの棟では、誰かがシャワーを浴びている。
目の前では、おばさんが散歩をしている。
何気ない日常の音が戻ってきたのだが、何故だか今というこの瞬間は、この先もう味わうことができないかも知れない、とふと寂しさに襲われた。