今日もどこかの小区で@上海

上海での日常を綴っています。日本での日常生活とは少し違った、でも実はあまり変わらない人間味溢れる上海生活をご紹介します

ロックダウン中の日曜日

「牛乳配ってくる」
日差しの気持ちいい午後3時、夫が急にこう言って外に出る準備を始めた
なんだかちょっと張り切っている様だ

「子供も連れて行ったら?」と言ったが「でも子供を連れてくるなといわれるかもしれないよ」と言われる

「じゃあ先に行ってて。後でサンサンと下に行くから」

上海は今ロックダウン中だ。かれこれもう3週間近くになる。本当は家のドアから一歩も出てはいけないのだが、まだ幼い娘が外に出たがるため時々団地の棟の下の通路で散歩をする
でももう最近は、娘も諦めたのか慣れたのか、外に出たいとは言わなくなった

下の通路に行くと、202号室の子犬ピピちゃんの飼い主である初老のご婦人が後ろ向きに歩いて散歩をしていた。(中国では恒例のザ後ろ歩き)
「サンサン、ババ牛乳配布に行ったのね。ババ、みんなを助けてくれて偉いわねぇ」
*北京語ではパパ=ババ
 
中国では小さい子がいると、相変わらずいろんな人に話しかけられる。

「あなた、日本語が話せるみたいね?」ご婦人が急に私に話しかけた。
え?いやいや、そりゃあね・・・と思いながら
「私は日本人です」と答えた。
「え???!!」とものすごく驚かれた様子。
「私は外国人なんですよ」

「にほんじんですか!!」と急にご婦人が日本語で話し始めた。今度はこっちがビックリだ。
「わたしはにほんに5ねんかんすんだことがあります。95年ににほんへいきました。でもにほんごもうほとんどわすれました」
正直、「ほとんど忘れました。」 と言えるなら、まだまだ上手なほうですよ、と思いながら、「そうなんですね!」とご婦人と少し日本語で会話をした。
 
それからご婦人が娘と日本語で会話をしてくれたが、娘は日本語はまだまだ分からないらしく、返答に困っていた。
娘に日本語で会話してくれる人が現れて、娘の日本語の練習にもなるのでちょっとラッキーだと思った。


しばらくベンチに座っていると、301号室の30代半ばくらいの女性がエプロン姿で下りてきて、サンサンに話しかけた
「ババを待ってるの?牛乳買ったの?」
娘は恥ずかしがり屋からか、小さい声でなにか言っている。
「もっと大きい声で言ってごらん!」
さすが上海の女性、ハキハキ元気さを子供のころから求められるようだ
娘も頑張って少し大きい声を張り上げて「ババ、牛乳とりにいった」と答えた
「何本買ったの?」
「3本」と答えながら、手は4本と表している
「それは何本?」「サンサンは何歳?」また上海女性から大声で指導されている
あまりはっきりと娘に指導できない私にとっては、このような女性は心強い存在だ。

娘には将来自分で住みたい場所や、やりたいことは出来るだけ自分で選択させたいが、
中国をはじめ、日本以外の国で暮らすには、それなりに自己主張を出来るようにならなければ簡単なことではない、ということは自分が経験をして実感している。
娘は中国生まれ中国育ちなので、この点は心配がないかと思うが、母親が日本人だと
やはり話し方が中国人よりはやわらかめになってしまう。

少しして、ミネラルウォーターが自分の棟の入り口に届いた。
105号室の韓国人夫婦(カップルかも)の分だった。
夫婦は2箱のミネラルウォーターの段ボール箱を、よいしょと担いで部屋へ戻っていった。
同じ棟の104号室のナイナイとこの韓国人夫婦の話をしていたところに、ゴミ捨て場の清掃担当のイエイエがやってきた。
*北京語でナイナイはおばあさん、イエイエはおじいさん


するとそのイエイエが、「あの夫婦は韓国人じゃないよ」と言い出した。
「韓国人はあんなミニスカートを履かないよ。半袖のシャツも着ないし」
「いやいや、現代の韓国人はふつうの洋服を着るんですよ」と教えてあげたら、ちょっとビックリしていた
側にいた別のイエイエが「現代は、みんな同じような洋服を着るんだよ」とそのゴミ捨て場担当のイエイエを諭していた。


また、夫が何やら外出してた様だ。
戻ってくると、小区の人と、紅茶の茶葉50gに対して、リンゴ2個、オレンジ1個、ドライレーズン1袋、明治チョコレート5粒を交換して来た。
命に係わる物資(米・油・ちり紙など)は国から配給があるが、嗜好品は手に入りにくいし、今購入すると通常の2倍は掛かってしまうので、小区内で物々交換へ至ったようだ。


早速、娘がリンゴ1個とオレンジ1個を平らげていた。